フランス人と博士号その②:博士論文審査会

  一連の重労働とも言える面倒くさい手続きを終えて、ようやく博士論文審査会へと漕ぎつける。審査会ではまず自分の研究について約45分間、審査員の前で発表する。前にも述べたように、この審査会は公開性で結構な数の人達が聴きに来るので、当然のことながら超緊張する。僕の友達の中には、この緊張に耐え切れず審査会の前に精神安定剤を飲んでいた人間もいた。この緊張に打ち勝つために、僕の場合は審査会の一か月前には発表のスライドを作成し、それから毎日発表の練習をした。スライドを見ただけで言葉が無意識に出てくるぐらい内容を暗記すればいいと思ったので、夜に研究室の図書室を完全貸切状態にして、そこで発表内容を喉がおかしくなるほど声に出して反復した。
 さて、いよいよ審査会の当日。会場に入るまではそんなに緊張しなかったが、いざ会場へと着き、発表の準備を終えたら急に不安になってきた。そんな時、ムッシュー・オワリー1) が突然会場に入ってきたのでびっくりした。彼が一年くらい前に退官して以来、僕たちはしばらく会っていなかったからだ。その次に、仲の良かったスペイン人の友達が来た。彼は同じ化学科研究棟の2階のペプチドの研究室に所属しており、学生ではなくMaître de Conférence(助教授)である。彼はサッカー好きで、チャンピオンズリーグの季節になると、よく彼や彼の友達(ほとんどスペイン人)と一緒にバーまで行って試合を観戦したものである。二人とも僕の研究に直接関係のある人達ではない。そんな彼等がこうして会場に一番に来てくれて、気分がかなり和んだ。そうこうしている間に、研究室の人間やら友達やらがやって来て会場が埋まりだし、後は審査員の人達が来るのを待つだけの状態となる。
 審査員達が会場に入ってくると、それまで聴衆のおしゃべりで少しうるさかった会場がいきなり静かになり、なぜか会場の全員が起立する。この起立の習慣は伝統的なものかどうか知らないが、とにかく会場は荘厳な雰囲気となる。会場は小さな講堂で、発表者である僕は演壇の横にいて、審査員達の席は一番前、すなわち僕の目の前にある。彼等がそこにたどり着くと、審査員長が「これからムッシュー・オアラ(フランス語ではHを発音しないので、僕の名字のOHARAは「オーハラ」ではなく「オアラ」となる)の博士論文審査会を始めます」と言う。そして全員が着席して、審査員長が簡単なあいさつをした後、僕が発表を始める。声がかれるほど反復したせいか、発表は何の問題もなくスムーズに終わった。そしてこの後、審査会で最もやっかいな質疑応答となる。
 審査員との質疑応答は大体2時間半から3時間にもおよぶ。彼等はまず、論文について自分達の意見および批評を述べ、その後に質問を出してくる。この質問が結構すごい。例えば、僕の友達の審査会の時には、とある核酸の専門家が「なぜ自然は、DNAにおいてヌクレオチド同士を連結するのにリン酸ジエステル結合を選んだか?」という、およそ神のみが答えを知っているような質問をしていた。僕の時は、小寺先生2) がまず質問をしてきて、「君の研究は、何を明らかにしたのか?そしてサイエンスにどう貢献したと思う?」といきなり聞かれた。最初から難しい質問はないだろうと予想していたので、僕は頭がパニック状態になってしまい、質問に対して答えは述べたものの、何を答えたかについては今でも覚えていない。覚えているのは、ミカエル先生が僕の惨状にあきれて、代わりに答えてくれたことである。審査会の後、このことについて彼に怒られたのも昨日のように覚えている。ちなみに、小寺先生は質問がフランス人のようだっただけでなく、フランス語は超がつくほど流暢、身振り手振りまでフランス人そのものだった。
 こんな感じで悪戦苦闘しつつも、何とか質問に答えて質疑応答は終わった。その後、僕に博士号を与えるどうかを審査員達が評議する。これは密談のような形式をとるため、彼等以外の全員が会場から出て外で待機することになる。この間は、苦しくも楽しい研究の日々が走馬灯のように思い起こされる・・・わけではなく、緊張からしばし解放されたおかげで、トイレ直行となる。
 しばらくして評議が終わり、会場に入ることができる。演壇の中央に審査員達が待っており、そこまで進むと審査員長が「評議の結果、ムッシュー・オアラに博士号を授与することを決定しました」と言ってくれた。すなわち博士号を無事取得できたのである。審査員の方々と握手をして、彼等から最後のコメントをもらう。審査員には必ず指導教官も含まれ、彼等からコメントもらう時、たいていの学生は感動して泣く。そして指導教官までもらい泣きするのが普通だが、ミカエル先生はそのような感傷的な人間ではないので、前にも述べたように最後のコメントまで教訓じみた格言となり3)、僕の審査会の終わりは涙のフィナーレとは程遠いものとなった。
 審査員達が入ってきた時の起立といい、彼らによる密談形式の評議といい、フランスにおける博士審査会は、ある種の儀式のような印象を受ける。しかしよく考えてみたら、フランスにおいて「博士号」とは長い歴史があり、いわばフランスの伝統文化の一部と言っても過言ではない。フランス文化マニアの僕としては、一般的な意味での「博士号」を取得できたことより、フランス文化の一部としての「博士号」を取得できたことが何よりもうれしかった。もっとも、自分はまだまだ未熟で、フランスの「博士」になれたとは今でも思っていないが。
編者注: 1) 本連載「シミストその①」に登場したモンペリエ大学の研究者。南仏の典型的ないい“おじさん”にして謎の人物?
         https://hirofrench.com/archive/espace/monperie/111102.php
     2) 本連載「フランス人と博士号その①」に登場したストラスブール大学の日本人研究者。核酸化学の専門家。
         https://hirofrench.com/archive/espace/monperie/120809.php

     3) 本連載「シミストその②」で紹介された、日本語で日本語の格言を大原氏に贈ったというエピソード。
         https://hirofrench.com/archive/espace/monperie/111207.php