シミストその2:ミカエル・スミエターナ先生

 二人目に紹介するシミストは、僕の博士課程の指導教官であったミカエル・スミエターナ(Michaël SMIETANA)先生である。SMIETANAという苗字は東欧に多く見られるらしく、そのことから想像できるように、彼の両親は東欧のポーランドからの移民である。髪の毛はブロンドできれいなカールを巻いており、また目も青く、顔を見ただけでいかにも東欧の人という印象を受けるが、背はそんなに高くなかった。彼のポジションはMaître de Conf&eaute;rence であり、これは日本では助教もしくは准教授に相当する。僕がモンペリエ大学の研究室に来た時は、彼はそこで働き始めてまだ一年か二年しか経っていなかったらしく、それまではスタンフォード大学でポスドクをしていた。だから年も若く、僕よりも5、6歳くらい上だった。
 実は、彼は僕にとってあの研究室で最初に出会って話した人でもある。僕が所属していた研究室の入り口はオートロックで、入るためには暗証番号が必要であった。だから初めて研究室を訪れる人は、ベルを鳴らして中にいる誰かにドアを開けてもらわなければならない。僕が初めて着いた時は彼が、それをおそらく予想していたのであろうと思うが、ドアを開けてくれた。僕は指導教官というのは、40代くらいの人だと勝手に想像していたから、ドアを開けてくれてかつ僕にとっては学生のように見えた人に、突然「君の指導教官である、ミカエルだ、よろしく」と言われてかなり驚いた。僕もすぐに自己紹介をしたら、「なんではるばるフランスまで来た?」みたいなことを言われたのを今でも覚えている。
 僕は、彼がアメリカでポスドクを終えて帰ってきたばかりであること、そして僕が彼にとっての最初の博士課程の学生であるということを知って、「またかい!!」と思うと同時に、博士課程は僕の想像以上にハードになるなと確信した。というのも、僕が弘前大学で修士課程に在籍していた時の指導教官も、僕が修士課程の学生になると同時にアメリカのコロンビア大学でポスドクを終えて弘前大学に赴任したばかりであったからだ。だからモチベーションが高く、とにかく論文を書きたいというオーラを出しまくっていた。野心満々なのはいいことであるが、学生としては彼のありあまるアイデアを実行するために、とにかくハードに働かなければならず、それはそれは大変なのである。そして実際に不幸なことに、ミカエル先生もまったく同じタイプの漢であった。
 彼のオフィスは僕の実験台の前に位置していたから、僕は毎朝彼に会う。その度に
 ≪Ça va ?≫と聞かれ、その後すぐに≪Bonne nouvelle ?≫と言ってくる。とりあえず僕は前日に行った実験の結果を言うのだが、毎日いい結果が出るわけがない。そんな時は常に≪Pas de nouvelle≫1) と答え、彼が何か言おうとしようものならすかさず≪est une bonne nouvelle.≫1) と続けて機先を制したものである。ちなみに弘前大学にいた頃は、指導教官の机が実験室内にあり、朝会う度に「で、どお?」と前日の結果を尋ねてきた。本当に二人ともそっくりである。
 ミカエル先生は、いらいらすると必ずと言っていいほど、ことわざや名言を使って文句を言ってくる。僕がやたらとフランス語のことわざなどを知っているのは彼のおかげである。例えば、彼は学生に複数のプロジェクトを与え、それを同時進行させないと機嫌が悪くなる。ある日、僕がひとつのプロジェクトに集中して、他のものをしばらくやらずにいることを知ったら、彼は突然に怒りだした。僕は日本のことわざである「二兎を追うもの一兎をも得ず」を言ったら、すかさず≪Il ne faut pas mettre tous les œufs dans le même panier.≫2) とフランスのことわざで反撃されてしまった。
 こんな感じで、体育会系でかつ物をはっきり言う典型的フランス人だから、ミカエル先生に対する学生の評判は悪かった。彼はあの当時、僕とは別にもう一人博士課程の学生を指導していたが、その学生は彼にきついことを言われてよく泣いていた。しかし前述したように、僕は彼と同じタイプの先生の下で修士時代を過ごしたから、この手のタイプの先生に対する免疫がすでについていた。今にして思うと、僕が無事にフランスで博士課程を終えることができたのも、弘前時代の先生のおかげである。
 しかし、ミカエル先生は日本からはるばる来た僕を、何の差別もなく普通のフランス人の学生と同じように扱ってくれた。さらに、普通の学生以上にプロジェクトを僕に与えてくれたのは、言い換えれば、僕ならばできると信用してくれたからだとも思う。僕たちの論文が受理された時は、それを知ったのが夜遅くにもかかわらず、興奮しながらすぐに僕の携帯まで電話をかけてきてくれた。
 僕が所属していた研究室の博士論文発表会では、締めとして必ず指導教官が担当した学生にねぎらいの言葉をかけ、その学生は感激してよく涙を流すのがお決まりのシーンであった。しかし僕の博士論文発表会のときは、彼らしくことわざで締めくくってくれた。どうやって調べたのか、この時はフランス語ではなく日本語で「油断大敵、勝って兜の緒を締めよ」と言われた。僕はまさか最後までことわざを、しかも日本語で言うとは想像してなかったので思わず笑ってしまった。


編者注:本文中に出てきたフランスのことわざを、ついでにおぼえて使ってみよう!
  1)≪Pas de nouvelles, bonnes nouvelles.≫「便りのないのはよい便り」
  2)≪mettre tous les œufs dans le même panier≫「一つのことにすべてを賭ける」
                        (←全部の卵を同じかごに入れる)
     ※≪Il ne faut pas ~≫「~してはいけない」