Pouvoir, c'est vouloir?! -仏検が教えてくれたこと-
工藤貴子
トップページですでにお知らせしたとおり、来たる11月15日、実用フランス語技能検定試験(以下、「仏検」)が弘前大学を会場に行われます。
これを受け、弘前大学では主に1年生を対象とするフランス語授業の一環で、3年前から「仏検5級対策クラス」を設けています。過去の問題パターンをベースにした弘大オリジナルプリントを使い、体育会系サークルさながら、ひたすらにフランス語100本ノックを浴びているところ。もちろん、一切のギャグは封印。
この授業を担当する者として、第一回の授業で必ず学生の皆さんに投げかける質問があります:「どうして仏検を受けようと思ったのですか?」
ある人は「どんなもんかなーと思って・・・」と答え、ある人は「自分のフランス語のレベルが知りたかった」と答える。そしてまたある人は「どうせやるならフランス語ができるってことを客観的に示せる資格を持ちたかったから」と言う。なるほど、といちいちうなずきながら、私は彼らのキラキラしたまっすぐな瞳に、心ひそかに魂を洗われる思いがしています。
こういう経験、前にもしたことがある。そう、同じ仏文専攻のRちゃんやYちゃん、それにHもせっせと研究室で仏検の願書を書いていた、あの時。といっても、自分の乏しいフランス語力をまざまざと、まさに客観的に突きつけられる恐怖から、当時の私は筋金入りの検定試験嫌いで、特にヒアリングやスピーキングに苦手意識どころか嫌悪感まで抱いているという有様。友人の果敢なチャレンジを眩しく見つめたことはあっても、魂を洗われるほどの謙虚さにはまだ欠けていました。
そんな私を前に、先生はおっしゃった:「アナタの場合、2級とらなきゃ卒業させないよ。」
なぬ? まずい。 そりゃーまずい。さっさと合格して、フランス語とおさらばしよう。
かくして、私の仏検対策は始まりました。やおら対策クラスに顔を出す。これが涙なしには出られない授業で、下級生の目も注がれる中、黒板の前に出てディクテDictée(読み上げられるフランス語文を一字一句、句読点まで正確に書きとる作業)する。緊張のあまり、録音がよく聞こえない。(気がする。)見かねたフランス人留学生が「ドゥゼル,タカコ!」とスペルを何度も繰り返してくれますが、それが≪Deux “L”≫のことだと気づくのに、一体どれだけの時間をロスしたことか。また、別の回ではDictéeしながらみんながクスクス笑っている。なんとなれば、このときの教材は笑い話。恥ずかしくて顔を上げられず、自分以外に笑えなかった人があの場にいたかどうかは今もって謎です。
これほどの挫折感からどうやって逃げようか。でも、逃げたら卒業できないし・・・。
でも、あまりにもツライ・・・。こうして堂々巡りする合間を縫って、ただひたすらに問題をこなす。そう、得手不得手を考える暇も、好き嫌いを思う間もなく、ただ無心でフランス語の音に向かううち、先生が常々おっしゃっていた発音とつづり字の規則性や美しいとさえ感じる明晰な文法体系、そしてそれを骨組みにして展開される論理的な文章が、実感としてある日突然胸の中にストンと落ちた。目の前のモヤモヤした霧が突然晴れ、視界が大きく開けた時のようなあの開放感。
このとき、自分自身も何かから解放されたのでしょう。俄然フランス語が楽しくなり、あれだけさっさと足を洗おうとしていたこの世界一美しい言語との付き合いが、いまだに続いているのだから不思議です。さまざまなコンプレックスから逃れるには、結局のところ、それに真正面から向き合うしか方法がなく、突破口はそこにこそ見いだせるものだと信じられるようになりました。仏検を通して、私は人生の歩き方まで学んだと言ったら言い過ぎでしょうか。
フランスには≪Vouloir, c'est pouvoir.≫という言葉があります。直訳すれば「望むこと、それはできることだ」、要するに「精神一到何事か成さざらん」という意味ですが、まさにフランス語やフランスへのなにがしかの“望み”から仏検チャレンジを決め、フランス語が“できる”ようになる人がほとんどでしょう。しかし、仏検を主催するフランス語教育振興協会のHPで「合格者からの声」を読んでみると、私のように苦手意識を克服して“できる”ようになったことをきっかけに、今後フランス語を使って挑戦したい“望み”を語る人もいらっしゃいます。拙文のタイトルとした≪Pouvoir, c'est vouloir?≫も、そう考えてみると、あながち間違いとは言い切れないのではないかという気もしてきます。
いずれにしても、≪vouloir≫と≪pouvoir≫の間にあるものの一つが仏検であることは間違いありません。この≪Vouloir, c'est pouvoir.≫を板書したとき、ある学生は「先生、つまり望んだこととできることは一緒なんだね!」と大発見したように言いました。彼はもう大学を去りましたが、どこかで自分の「したい」を「できる」に変えていてくれたらいいなと思っています。(昔取った杵柄で、仏検を受けていたとしたらもっと嬉しいです。)
弘前大学の学生も含め、仏検を受験するすべてのみなさん、自分には高すぎると思うくらいの壁を設定した今、不安や力不足を感じることは誰にでも起こることです。しかし、その壁を越えることが「できる」時、新しく「したい」ことが生まれる。これを繰り返しながら目の前の風景は次々と更新され、学ぶ喜びはいつまでも尽きることがありません。語学の習得がしばしば長い旅にたとえられるのもこのためです。旅はまだ始まったばかり。城壁の向こうのまだ知らない景色は、実はまだ会ったことのない新しいあなた自身なのです。インフルエンザにくれぐれも気をつけて、ベストの体調で旅を続けてください。