アフリカの蛇口 欧州を目指す難民や移民と経由地モロッコ

2015年の「欧州難民危機」を覚えていますか?
中東やアフリカから100万人以上の難民や移民が欧州に押し寄せ、欧州各地で受け入れの危機を招きました。
欧州では移民排斥を掲げる排外主義が台頭したほか、ハンガリーなどの国ぐにでは難民や移民の流入を阻むために国境にフェンスが建設されました。

モロッコとスペイン領セウタの国境に張り巡らされたフェンスや監視台。


モロッコも陸続きのスペイン領を有するという地理的要因から、20世紀後半からサブサハラ・アフリカ出身の難民や移民を惹きつけ、経由地として機能してきました。
人びとの越境を阻むため、2000年代にはスペイン領とモロッコの国境線に高さ6メートルの三重のフェンスが張り巡らされ、監視カメラやセンサーで警備されています。
それでもフェンスを乗り越えようとする人びとは後を絶たず、欧州難民危機でもモロッコを経由してスペインを目指す「地中海西ルート」が注目を集めるようになりました。

欧州連合(EU)はこの国境を「欧州南部国境」と呼び、モロッコと国境管理のための協力関係を築いています。
モロッコはEUの「域外国」の一つとして、EUへの人の移動の管理を担っているのです。

欧州を目指す移民たち
「数えきれないほど国境越えを試み、そのたびに手数料としてお金を支払いました。もう何度国境越えを試みたかなんて、分からない。そうしてようやく成功しました」
ギニア出身のモハメッドは、2018年7月にモロッコとセウタを分かつフェンスを乗り越え、越境を果たした移民の一人です。
当時24歳の彼はもともとギニアで露店商をしていましたが、家族を養えるほどの収入が得られず、欧州を目指すことにしたといいます。

このとき、800人規模のサブサハラ・アフリカ出身移民がフェンスに突撃し、うち600人ほどが越境に成功しました。
彼らはフェンスを乗り越えるために集団で突撃するだけでなく、当局に対して石灰や汚物などが入ったペットボトルを投げつけたと報じられています。

モハメッドは出身国のギニアを出てから、1年以上かけてマリ、ブルキナファソ、ニジェール、アルジェリアを経てモロッコにたどり着き、そこからセウタへの越境を図ったといいます。
その道中について、彼はこんなふうに語りました。

「本当につらい道のりでした。アルジェリアでは、警察が賄賂を要求してくるのが常。その場でジャンプさせられ、小銭のチャリンという音が聞こえれば根こそぎ没収されました。モロッコではカサブランカやラバトで物乞いをしながら、駅や路上で寝起きしていました。モロッコに入ってからも、警察の暴力や金の要求は日常茶飯事でした」

そうして2017年末、モハメッドはセウタに隣接するモロッコの地方都市フニデクにたどり着きました。
サブサハラ移民の多くはフニデクに着くと、山中にキャンプを形成して越境の機会を待つことになります。
モハメッドも同様で、仲間たちとフニデクの山中で半年以上生活したといいます。
一方、アムネスティ・インターナショナルは、警察や憲兵といったモロッコ当局が移民のキャンプへの放火や掃討作戦を行っているとして非難しています。

経由地としてのモロッコ
私は2018年5月、地元の案内人に車を出してもらい、移民たちが暮らしているという山を訪れました。
とはいえ山中を走る道路を車で通るだけでしたが、案内人は「ほら」と森を指さして言いました。

フニデクの山中。当局の建物が点在している。


「見て、あそこの黒い穴倉。あのなかにレ・ノワール(les Noirs)が住んでいます。あそこも、ここも。レ・ノワールは目が良いからね。こっちからは見えないけど、彼らはここを通る車や人を全部見ているんですよ。そしておなかがすいたら町に下りてきて、物乞いをしているんです」

フランス語でサブサハラ出身者を表すなら、シュブサアリアン(subsaharien)という形容詞を使うことが一般的でしょう。
しかし、案内人は彼らをレ・ノワール、つまり「黒人」と呼んでいました。
レ・ノワールは目が良い、レ・ノワールはおなかがすいたら町に下りてくる――。
案内人は淡々と話してはいましたが、どうしてもあまり良い印象を持っていないことがうかがえます。

モロッコではかつて、「移民の安全保障化」ともいえる政策を築いていました。
移民を国家の安全保障上の脅威とみなし、当局の国境警備要員を増員し、非正規での出入国に罰金を科すなど、非正規移民に対して強硬姿勢をとっていたのです。

また、サブサハラ移民とエイズ、アルカイダなどを結び付ける報道を行い、市民のなかに彼らに対する嫌悪感すら醸成していました。

とはいえ、それも過去の話。
2013年には人道的観点に基づいた新移民・難民政策が策定され、数万人規模の「非正規」移民の例外的合法化や、彼らのモロッコ社会への統合に向けた法改正がなされました。
「彼ら(注・サブサハラ移民)が社会の周縁で生きることがないよう、行動しています」
モハメッド6世国王は2017年1月のアフリカ連合サミットで、そうスピーチしています。

一方、先述のモハメッドは、フニデクの山中で暮らした経験をこう振り返ります。
「モロッコ北部に来れば来るほど嫌がらせを受け、4回も南部のアガディールまで送還されました。山中で暮らしていたときは、10人で小さなボウルの食べ物を分け合ったこともあります。そこにはすべての苦しみがありました」
モハメッドのように、合法化の対象とならなかった移民は、「社会の周縁」で生きることを余儀なくされていたのです。

欧州に渡れない人びとも
モハメッドは越境を果たしてセウタに入国したあと、移民一時滞在センターに滞在しました。
午前中はセンターで健康診断や移民登録の手続き、スペイン語の授業を受け、夕方になると市内の大型店舗の駐車場で交通整理を行って小銭を稼いでいました。
その後、2019年にはスペインのNGOの支援のもと、スペイン本土に渡れたといいます。

もう一つのスペイン領メリリャにある移民一時滞在センターの入り口。


しかし、モハメッドのように欧州に渡ることのできる難民や移民は一握りです。
これまでニュースで、小さなゴムボートに溢れんばかりの人が乗っているのを目にしたことのある方も多いでしょう。
そのような移動はリスクが高く、モロッコメディアの報道によると、地中海西ルートの海路で2016年には9,990人、2017年には倍以上の2万3,143人が命を落としました。
これは実際のところ、経由地にとっての負担にもなっています。

スペイン領メリリャに隣接するモロッコの地方都市、ナドール。
ここにある一つの病院では、2017年には69のサブサハラ・アフリカ出身移民の遺体を受け入れたほか、病院で9人の死亡が確認されました。
その多くは身分証明書を携行していないため、当局や地元のアソシエーションが協力して身元の特定を目指します。
3か月経っても判明しない場合にはDNA採取も行いますが、遺体を母国に移送する場合には4万ディルハム(約4,000ユーロ、約50万円)近く掛かるそうです。
支援に携わる有識者の一人は、メディアのインタビューにこう語っています。
「アフリカでは、数ユーロを稼ぐのも一日仕事です。もし少しのお金があったなら、生きている人のために使いたいと思うでしょう」

「アフリカの蛇口」の外交カード
「欧州の安定は、モロッコが握っています」
モロッコで出会った有識者の一人は、少し声を潜めてこんな話をしました。

モロッコを形容する言葉の一つに、「アフリカの蛇口」というものがあります。
ひねると水が流れる蛇口のように、モロッコを“ひねる”と欧州にとっての脅威が流出するという意味です。
難民や移民、テロリスト、大麻……それらが脅威として挙げられています。
スペインの内相もかつて、モロッコに対して「ラバトの政府は都合に合わせてバルブを開けたり閉めたりしている」(*)と批判しました。

モロッコはこのように、移民問題などを「外交カード」として使っているとの批判を受けています。
難民や移民が欧州にとっての優先的課題となるなか、それがモロッコに逆手に取られているという現状があるというのです。
カースルズとミラーは『国際移民の時代』のなかで、EUの域外国についてこう説明しています。
「不法移民を捕まえた後の経済的負担を、われわれにすべて負担させるのはおかしいと不平をもらしている」(**)
「欧州の安定はモロッコが握っている」「アフリカの蛇口」という言説が生まれた背景には、このような事情があったのだと考えられます。

移民問題が取りざたされるたび、駐車場の車止めに座りながら、モハメッドと喋った日のことを思い出します。
「欧州に渡ったら、トラックの運転手になりたい」
モハメッドは少しはにかんで、一見小さな、とはいえ壮大な「夢」を語ってくれました。
国際関係の裏には、常にだれか弱い立場に置かれた人びとがいることを、思い知らされます。

バルセロナで露店を広げるサブサハラ移民たち。


(参考文献)
* Fernández-Molina, Irene, 2016, Moroccan Foreign Policy under Mohammed VI, 1999-2014, Abington: Routledge.
** Castles, Stephen and Mark J. Miller, 2009, The Age of Migration: International Population Movements in the Modern World, London: Palgrave Macmillan Limited. (関根政美・関根薫監訳,2011,『国際移民の時代』名古屋大学出版会.)




2021年2月19日