自転車のために国を売った? 植民地時代の記憶といまも残る「支配」

「知ってる? モロッコは、自転車のために国を売ったんだよ」
モロッコの友人がある日、こんな話をしてくれました。
自転車のため……?
どうも、植民地時代にフランスとスペインの保護領となった背景には、モロッコが自転車と引き換えに領土を売り払った、ということがあったそうです。

自転車に乗る男性。


友人たちに聞きながら調べてみると、どうやらこの話のもとになっているのは、次のような逸話でした。

16歳で即位したスルタン(イスラム王朝の君主)、ムーレイ・アブデルアジズの側近は、フランス人だった。側近はスルタンに何でも欲しいものを買ってあげていた。スルタンは最後に「自転車が欲しい」と言ったが、もうそのぶんのお金は残っていなかった。側近はこう言った。「では、モロッコの土地と交換に自転車をあげましょう」。するとスルタンは大喜びでモロッコを手放し、自転車を受け取った。こうしてモロッコは、フランスの保護領となった。

これはモロッコで伝わる口頭伝承の一つで、フランスに売ったとか、スペインに売ったとか、さまざまなバリエーションがあるようです。
こんな話を聞いたんだけど、と「ムーレイ・アブデルアジズが売った……(Moulay Abdelaziz a vendu……)」と話し始めると、別の友人も「……自転車(bicyclette)、ね」とため息。 友人はその話を、祖母から聞かされたそうです。



保護領化とプロパガンダ
自転車のために国を売る。
そんなことが、実際に起こっていたのでしょうか。
この逸話に登場するムーレイ・アブデルアジズは、1894年から1908年まで当時のアラウィー朝のスルタンでした。
大の機械好きとして知られていたアブデルアジズ。
彼はそのなかでも自転車が一番のお気に入りで、マラケシュにあった宮殿の中庭に、スロープやサーキットまで設置していたといいます。

アブデルアジズが即位していた19世紀後半から20世紀初頭。
このころはちょうど、西洋列強がアフリカ分割を進めていた時期に当たります。
モロッコも当時、フランス、スペイン、ドイツの三国から視線を向けられていました。
この逸話はアブデルアジズの機械類への“浪費癖”と国庫の疲弊を結び付け、彼を失脚させるためのプロパガンダだったといわれています。
国民の信頼を失ったアブデルアジズは後にクーデターにより失脚し、この逸話を流したとされる弟のアブデルハフィズがその後継者として即位しています。
その後、1912年に締結されたフェス条約によって、モロッコの大部分がフランスの保護領となりました。

モロッコの国旗が立ち並ぶ幹線道路。


モロッコのメディアDiscovery Moroccoは2018年、 Facebookの投稿で、この逸話は事実ではないと主張しました。
投稿された画像には、「スルタンのムーレイ・アブデルアジズは、決して自転車のためにモロッコを売らなかった」と記載されています。

一方、この逸話が事実であると主張し、アブデルアジズに怒りを示すモロッコ人はいまも少なくありません。
40代の男性は、私がアブデルアジズの話を知りたいと言ったとき、こうまくしたてました。 「アブデルアジズ? あんなのはモロッコにとって裏切り者だ。自転車のためにモロッコを売ったんだ。そんなこと、許せるか?」

実は、彼はフランス嫌いも公言していました。
フランスの旧保護領であるモロッコではフランス語が広く用いられているため、彼自身もフランス語を使いはするものの、「こんなのはモロッコ人の言葉じゃない」という忸怩たる思いがあることを打ち明けてくれました。

いまも続く「支配」
モロッコ人にとって、西洋列強による支配は過去の話ではありません。
いまも続く「支配」の象徴が、モロッコ北部のスペイン領セウタとメリリャです。
セウタは18.5㎢、メリリャは12.3㎢ととっても小さな町。
両地域は大航海時代にスペイン領となり、そのまま飛び地状に残っています。

スペインはセウタとメリリャを自国固有の領土としています。
一方モロッコでは、セウタとメリリャを表すときには「占領された町(les villes occupées)」という言い方もされます。
特にセウタに関しては、モロッコでは現在の地名Ceutaではなく、「占領」以前の地名であるSebta(セプタ)が主に使われています。

象徴的な出来事もありました。
2018年8月、あるモロッコ人女性がスペインの国籍取得試験を受けましたが、国籍付与を拒否されたと報じられました。
彼女は2000年からスペインに暮らし、流暢なスペイン語を話し、スペイン人と結婚もしていました。
しかし、スペインの政治や文化についての知識が足りなかったことに加え、「セウタはモロッコの領土だ」と発言したといいます。
これが、「スペイン人としての基本的な質問」に答えられなかった、とみなされました。

セウタのバス停。EU・スペインを示す看板と民族衣装を着たモロッコ人たち


とはいえ、領土問題として常に緊迫しているというわけでもありません。
セウタとメリリャには現在、それぞれ8万4,000人ほどが暮らしており、その約半数かそれ以上がモロッコ人あるいはモロッコ系だといわれています。
また、地元住民の日常的な往来が盛んであり、二つのスペイン領とモロッコは持ちつ持たれつの関係にあります。
(現在は新型コロナウイルスの影響で、陸路の国境は閉鎖されています)

一方、モロッコのオトマニ首相は2020年12月、中東テレビ番組のインタビューで「セウタとメリリャの問題を俎上に載せるときがきました」と語っています。
モロッコにとっての「支配」は、今後どうなっていくのでしょうか。




2021年2月5日