フランス人と博士論文
2012年も前半が過ぎて、後半の7月が始まった。フランスにいた三年間で最も記憶に残っている7月と言えば、博士課程最後の年の7月である。というのも、このときから僕は、フランスにいて最も苦労したフランス語の博士論文を書き始めたからである。なぜ7月から着手したかといえば、担当教官であったミカエル先生から6月で実験はやめて、7月になったら博士論文を書き始めるように言われていたからである。彼によれば、博士審査会がだいたい12月の半ばくらいに行われるから、それを考慮すると7月にはとりかからなければいけないとのことだった。
正直な話、僕は博士論文を甘くみていた。その当時、僕は博士課程において最も重要な事は、良い研究結果を出し、それを国際ジャーナルに論文として報告することだと思っていたからである。実際、その時までに研究の結果はすでに出ており、またそれらの結果を報告した論文は、いくつかの国際ジャーナルに受理されて掲載されていた。だから僕は「博士課程はもはや終わり」とみなしており、博士論文に対して強い思い入れはなかった。そんなわけで、すでに英語で書いた国際ジャーナル用の論文の内容をフランス語に訳して、さらにそれを少し修飾して博士論文の中身としようと考えていた。ちなみに、フランス語はその時までにかなり上達していたと思うが、博士論文の文章を書くとなるとやはり難しかった。それでも3週間くらいで、第一章と第二章を書き終えた。論文は全部で五章構成の予定であったから、その時点で40パーセント終えたことになり、我ながら満足していた。
ちょうどそんな時だった、ミカエル先生に、バカンスに入る前に途中まででも構わないから、僕の博士論文を見ておきたい、と言われたのは。
彼に書き終えた箇所の原稿を渡して一息ついた翌日、話したいことがあるから部屋へ来いと言われ、彼の部屋へ入った。彼の表情を見た瞬間、これはやばいなと感じた。さすがに三年間も一緒にいれば、顔を見ただけで彼の機嫌が分かるようになる。その時は相当怒っているのが分かった。ふと渡した原稿を見てみると、赤ペンで隅々まで校正されており、原型をとどめていないことがすぐに分かった。
まず「お前、博士論文をなめるな」と言われた。「国際ジャーナル用の論文は都合上、短くまとめているが、博士論文は違う」と彼は言い、「だから、ひとつひとつの実験結果について、より多くの考察を書かなければならない。しかし、その考察だけでなく、研究の背景、研究から得られる結論についてもお前はまったく詳細に書いてない」と続ける。そして、今度は個々の内容について散々怒られ、気が付けば3時間も経っていた。「フランス語で博士論文を書くのはフランス人でも苦労するのだから、外国人であるお前にとってより難しいのは当たり前だ。しかし、だからと言って甘く見るわけにはいかない。この内容のままでは、お前に博士号を与えることはできない」とまで言われた時は、さすがにショックだった。
最後に「なぜフランスワインが素晴らしいか知っているか?」と問われた。「味がいいからだ」と答えたら、「それは違う、それだけでは良いワインにはならない。味もさることながら、ボトルやラベルも素晴らしいからだ。博士論文はそれと同じことだ。研究結果が良くても、それについてエレガントに書かれていなければ、良い博士論文ではない」と言われた時、はじめてフランス人にとっての博士論文とは何かを理解したような気がした。
結局、第一章と第二章はほぼ全て書き直しということになった。さらに、バカンスの終わる8月末までに五章全部を終えろとも言われ、死ぬ気になって論文を書いた。それまでの自分の人生で、ここまで何かに集中したことはないと言えるくらい必死になって論文に取り組んだのは、博士号がとれないかもしれないという現実的な恐怖感からというよりは、フランスの博士論文というものに対する思いが変わったからだと思う。
研究室はバカンスで誰もいないから、図書室を一人で独占してクーラーを全開にし、ひたすら論文を書いた。あの時は食事する暇すら惜しいと思い、あらかじめ昼食と夕食用にサンドイッチを研究室に行く前に買って、パンをかじりながらパソコンに向かっていた。自分が住んでいた場所から大学までは、いつも自転車で行っていたが、この時はあえてトラム(路面電車)を利用した。トラムに乗っている間にも論文に誤字脱字があるかないかチェックできるからだ。このようにして、どうにかこうにか五章全てを8月末までに書き終えた。バカンスを終えたミカエル先生に論文の原稿を見せたところ、まだまだ書き直す箇所はたくさんあるが、以前よりは別の物のように良く出来上がっていると言われ、とりあえずホッとした。
それから一か月半くらいで製本化までこぎつけた時は「ああ、博士課程も無事終了」と思ったが、まったくそんなことにはならなかった。最後の関門である博士審査会がまだ控えていたからである。それについては、次回。