フランス語と化学用語
日本には日本語の化学用語があるように、フランスにはフランス語の化学用語がある。僕は専門が有機化学だったから、フランス語の有機化学用語をたくさん知ることができた。
多くの日本語の化学用語はヨーロッパに由来するから、当然、日本語の発音に似ているフランス語の化学用語は多い。例えば、日本語のエーテル、エステルは、フランス語ではそれぞれ「エテール (仏:éther)」、「エステル (仏:ester)」となる。これらは英語では、「イーサー」、「エスター」と発音されることを考えると、フランスという国に一種の親近感のようなものを感じてしまう。このように、英語の音よりもフランス語の音により近い日本語の例を他にあげると、アミド (仏:amide)、ペプチド (仏:peptide)などがある。
しかし、ここで「意外にフランス語の化学用語は簡単」などと甘ったれると、とんでもないことになる。なぜなら有機化学に関わる人(だけでなく多くの日本人)は、日常の生活で英語の単語を頻繁に使うが、フランス語と英語は、単語の綴りにおいてだけでなく、発音、また文法においても違いが多いからである。
例えば、多くの日本人はデオキシリボ核酸(英:DNA, Deoxyribonucleic acid)を、英語そのままで「ディーエヌエー」と発音すると思う。しかしこれはフランス語では、ADN (Acide Désoxyribonucléique)となり「アーデーエヌ」となる。ちなみに、この’ADN’には思い出がある。僕の研究分野は核酸の化学なので、当然よくADN という言葉を使う。そして、Power pointのスライド内の文章においてADNと打ち込むと、勝手に英語の文章校正機能が働き、ADNがANDになってしまうのである。僕はこれに気づかないまま学会で発表してしまい、後で指摘されて大恥をかいた。
しかしこの例ならば、まだD, N, Aの三文字の順序が違うだけだが、英語とは全く違うものもある。その例として、薄層クロマトグラフィー(英:TLC, Thin Layer Chromatography)である。日本人は、ほぼみんな「ティーエルシー」と言う。だがフランス語だと、CCM (Chromatographie sur couche mince)で「セーセーエム」となり、英語とは綴りにおいても音においても全くちがう。
略語以外では、「試料(英:sample)」という単語は、日本でも「サンプル」という言葉で通じるが、フランス語だとéchantillon で「エシャンティオン」と発音し、英語とはまったく違う。
僕はフランスに三年間もいたので、このようなフランス語の化学用語にはすっかり慣れてしまった。おかげで、今でも英語で専門について話す時は、ついついフランス語の単語が出てしまう。その度に相手に「あっ、ごめんなさい。フランス語でした」みたいな言い訳をして、相手から畏敬(?)の目で見られるが、それこそまさにフランス語である。
最後は我田引水的なことで締めくくってしまいましたが、上述したカタカナ表記のフランスもしくは英語は、その発音がそのカタカナ音に近いだけであって、実際は違いますので注意して下さい。