意図せず迷い込んだ道
小笠原淑子
今から20年以上前、お供を仰せつかり初めてフランスを訪れた私のフランス語の知識はほぼゼロ。フランスの予備知識もなければ、思い入れもあこがれも、先入観も偏見も何もないまま到着しました。向かったのは、城壁に囲まれた中世の町が見事な形で残る、カルカソンヌというフランス南部の町です。そこから自転車で行くこと30分、小高い丘とひまわり畑の広がる村に、簡素な石造りの家を借りていました。大家さんから、「ワイン樽から好きなだけ飲んでいいよ」と言われてその樽の大きさに目を丸くし、散歩がてらサラダに使うハーブを摘み、パン一つ買うのにも自転車で丘をいくつも越えて小間物屋にたどり着き、近所のくりくり頭の男の子と「会話」をしたり、村の人たちの興じるペタンクを眺めたりと、ひと月がゆるやかに流れていきました。正直に言うと、このまったり感は当時の私には苦痛に近く、真夏の太陽の照りつける中、変速のきかない自転車で丘を越えることに至っては拷問以外のなにものでもありませんでした。 ちなみに男の子との「会話」というのは、「あ、ハエ!」と彼が言うと、私も真似をして「あ、ハエ!」と言うもの。言葉を話し始めたばかりのミヒディ君と私のレベルはぴったり合致。これを二人で飽きることなく繰り返していました。
その後はパリでフランス語学校へ通いました。"Un carnet, s'il vous plaît.(回数券ください)"で始まった、人ごみにまみれるメトロ(地下鉄)生活。せかせかした生活はお手のもの、なぜかずっと気楽に感じたものですが、今となれば、あののんびりした田舎暮らしは得がたい贅沢な時間だったと思います。この夏の滞在がきっかけとなり、フランス語とこんなに長いお付き合いになろうとは思ってもいませんでした。