パリはフランスではない
工藤貴子
「パリはフランスではない」《Paris n'est pas la France.》とはよく言われることですが、そうはいっても日本の在仏セレブ芸能人はみんなパリに住んでいます。住んでなくても、行っただけでとりあえず「パリでは自分が一番素顔に戻れるんです」なんてことを雑誌の取材で語っている。(ホントかよー。)他によく名前の挙がる町といえば、ジダンのマルセイユ、ルイ14世のヴェルサイユ、ナポレオンのコルシカ島くらいでしょうか。
グルノーブル Grenoble 。スイスとの国境に近い町で、晴れた日はアルプス山脈の最高峰、モン=ブランが臨める・・・。いえ、そんなことはどうでもいいです。私にとっては名前も知らない"あのマダム"が住んでいる町として、ガイドブックに載せたい地です。
もともと引っ込み思案で無口な私に、(よく言えば)討論好きのフランス人にまじって中身のない話をそれっぽく語るという芸当はかなりコタえます。グルノーブルに着いたのはまさにそんな時。町はずれにあるホテル行きのバス停がなかなか見つからないので、向こうから歩いてくる一人のマダムに仕方なく重い口を開きました:「あのぅ・・・、35番のバス停はどこでしょう?」(ああ、メンドくさい。)
すると、マダムは「それならこの道を・・・」と言いかけて、「あなた時間ある?うちがこのすぐ近くなの。地図で教えてあげるからいらっしゃい」と言うではありませんか!道すがら、この町は観光都市であること、だから道をきかれるのもよくあること、でもそれはほとんど英語によること、だから仏語できかれるととても嬉しいことを語ってくれました。私だって嬉しい!!仏語を勉強してよかったと、この時ほど思ったことはありません。
家に着いてからは、地図を広げて丁寧に説明してくれ、バスの切符を2枚くれ、おまけにやっぱりややこしいからというので娘さんに私をバス停まで連れて行くよう言ってくれました。その娘さんも、バスの運転手に私を指差して「この人が降りるバス停でちゃんと声をかけてあげて」と頼んでくれました。
今、あの親子はどうしているでしょう。名前も知らない。住所も知らない。元気かどうかすらわからない。だけど、私には一つだけわかったことがあります。「パリはフランスではない」。セレブはいないけれど、心温かい人々が名もないままに暮らす地方都市だってフランスの一部なのだということを。いつか必ず"あのマダムの"グルノーブルに戻りたい。そしてたとえ会えなくても、あの日と同じ道を歩いてみたいと思っています。