弘前れんが倉庫美術館をデザインした田根剛さんに迫る

弘前大学人文社会学部3年 相原寿貴・佐藤瑞稀・齋藤莉帆・後藤乃愛・對馬伊織

当リーフレット第8号でもとりあげた吉野町煉瓦倉庫が、いよいよ2020年4月に「弘前れんが倉庫美術館」としてオープンします!そのリノベーションを手掛け、世界的に活躍する建築家・田根剛さんが、ご多忙の中、今回特別にインタビューに回答して下さいました。

田根剛
1979年東京生まれ。北海道当会大学芸術工学部建築学科卒業。Aterlier Tsuyoshi Tane Architects 代表。主な作品に、『エストニア国立博物館』(2016)、『Todoroki House in Valley』(2018)、『とらやパリ店』(2015)、『弘前れんが倉庫美術館』など多数。フランス文化庁新進建築家賞(2008)、フランス国外建築賞グランプリ(2016)、ミース・ファン・デル・ローエ欧州賞2017ノミネート、第67回芸術推奨文部科学大臣新人賞(2017)、アーキテクト・オブ・ザ・イヤー2019など多数受賞。フランス・パリを拠点に活動。

Q:その場所に積み重なった歴史を大切にする、というのがテーマの一つにある田根さんですが、かつての城址や地形を維持している弘前市の建物をデザインするに当たって、その点を意識して取り入れた部分などはありますか。

A:吉野町の煉瓦倉庫群は、明治・大正期に建てられ日本で初めて大々的にシードルが生産された場所でもあり、長年この街の風景を支えてきた。厳しい雪国の中で、独自に煉瓦を開発して作った煉瓦倉庫群は増築や改築を繰り返しながら、そのほとんどはすでに解体されて時代とともに失われてきました。
国内では近代文化遺産を保存するだけでなく、現代文化として積極的に活用する事例はまだ数少なく、大半は「古さ」を理由に取り壊される。国内では煉瓦造りによる建築は二度とつくられることのない貴重な建築の系譜であり、壊してはならない文化遺産でもあります。
そこで、この煉瓦建築の記憶の継承を目的としていくために、あらゆる場所で煉瓦を多用し尽くして改修を行う現代煉瓦建築としました。その一方で新たな文化施設として、屋根は日本初のシードル工場にちなんでチタンによるシードルゴールドとすることにより未来の風景を映し出すことをイメージしています。

Q:2018年の田根さんの展覧会では、‘gate as hole’とメモ書きされた写真資料が、煉瓦倉庫の建築デザインを固めていく過程の展示のなかにありました。エントランスのデザインに込めた意味、コンセプトはどういったものでしょうか。

A:‘gate as hole’という意味に込めたのは、「入口には穴が開いている」ということです。どれだけ素晴らしい建築でも入口がなければ入ることが出来ない。そこで弘前の煉瓦倉庫が美術館として文化施設のエントランスをつくるのであれば、どのように来場者を招き入れるのか、そうした「入り口」のコンセプトから考えはじめました。

Q:田根さんは、世界の色々な建物の建築に関わって来られました。日本でのプロジェクトに関わるプロジェクトチームの構成も多国籍でしょうか。そのメリットは何でしょうか。

A:10ヶ国くらいのインターナショナルなスタッフが集まっているので、プロジェクトチームは常に多国籍で編成します。それは建築の議論を活発にし、既成概念を取り払い、同じ対象を見ていても、思いもよらないような議論が出てきたりします。文化的、社会的、政治的、思想的な背景が異なるチームならば、グローバルにも価値のあるコンセプトが案出できると思っています。

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